西田幾多郎と"rain drops falling on flowers"
小さなつながりを感じ、慌ててこれを書いている。
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rain drops
rain drops falling on flowers
all the taste of the water
raindrops - jad fair , tenniscoats & norman blake
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西田の本で読んだのだ。詳細な文章は思い出せないし、図書館で借りた本だったから原本も手元にない。確認できない。
だから記憶をたどりながら書く。
西田は鈴木大拙の仲介で禅に接続した。禅の思想は the objectless concentration of mind (対象物の無い心の集中状態)を目指す。僕は禅を組んだことがある。そこで感じたあの感じ、そのことを言っている。説明は難しい。
花がある。
雨が降る。
雫が花弁に触れる。
それを見ている。
§
その時に起きていることを、なんと説明したらいいだろう?
私、は花を、そして雨粒を、そして雨粒が花に触れるの、見ている。
私は花の質感を知っている。雨粒の質感も知っている。
花が雨粒をどう感じるのか、それがわかる。
雨粒が花をどう感じるのか、それがわかる。
私は花に触れる雨粒を見ながら、花でありながら雨粒でもある、とは言えないか。
西田はそのことを言っていたんだ。
うまく思い出せないけど。
§
千の花に1億の雨が降るとき、
それを見るということは、
千の花が1億の雨粒を感じるのと同時に、
僕も1億の雨粒を感じる。
これが物を見るということ、多分。